「1年間日本一周、作品制作の旅」001 事の始まり
それは、巷を騒がせた新型コロナウイルスの第1次流行による緊急事態宣言の終了翌日、2020年5月26日の出来事だった。
事の発端は、多分に漏れず新型コロナウイルスによる、いわゆるコロナ禍であり、とくさんの関わる会社が撮影を担当していた大型イベントが立て続けに中止になったことである。
その結果、会社は、数年に一度発生する、過去最大のピンチを迎えていた。
当然、とくさんもまたすんごいピンチを迎えていた。
世間では、「ピンチはチャンス」などと言ったりもするので、「これは、チャンス。そう、これは、チャンスなんだぜ」と、つぶやいて冷静さを保つ努力をする。
「チャンス!」
「チャンスなのだ!」
「チャンスなのだよね!?」
「チャンスなのか?」
「チャンス…」
「チャン・スー」
「Chang.Sue」
「あ、そうそう、Chang.Sueだった、すぐメールしなきゃ」
「え、誰?」
完全に現実から目をそらしていた。
このコロナ禍に会社から提示された新しい契約条件は、すでに丸ごとお仕事がなくなってしまったフリーのカメラマンの皆さんからしたら「●△×ぞ!お前」と言われても仕方ないぐらいの厚遇。
他の人から見たら「そのポジションやりたいです!命を懸けてやります!」と真夏のアスファルトに素肌の土下寝でお願いするような好条件なのである。
でも、とくさんにしてみたら、初見「何ですか?私に、死ねと?」と言いたくなるよう超苦痛カテゴリ。
それはもう、「私に」と「死ねと?」の間に「、」が入るくらいの重厚さ。
「はい、大丈夫です。問題ありません。一緒に頑張りましょう」
とくさんは、できる男だ。
それは、今ではないかもしれないが、将来的には、できる男なのである。
とくさんは、社長、取締役とのオンラインでのMTGを終えて、立ち上がる。
ふぅと、小さな溜息で気持ちを切り替え、次の仕事の算段をする。
そして、つぶやく「さぁ、行こうか、俺」
いやいやいやいや、全然そんなん違いますよ、途中から、いやいや、最初っから全部嘘!
「え~なに~、なにそれ~、なんで~、なんでな~ん、いやや、いやや、そんなんいやや~、あ~もう、おうちかえりた~い」
そんなん、嫌すぎるし、ダメすぎる。
とくさんの理性と脳のシンクロ率は、30%を割っている。
「そんなていあん、うけられな~い。ほりゅうほりゅう~そのうちころな、なくなる~ん」
数時間後、理性と脳のシンクロ率が40%程度まで戻り、ようやく、単純な思考と簡単な会話が成立するようになった。
ただし、この場合の会話の相手はあくまで自分自身であり、自分以外、いわゆる、他人との会話の成立はまだもう少しだ。
この状況での他人との会話は、「言語」で行うものではなく、目や態度で訴えるタイプのやつである。
そう、混乱から数時間、とくさんは、とうとう、小型犬のクリームブリュレちゃん並みのコミュニケーション能力を獲得したのである。
さて、話を元に戻そうか。
世間では誰もが泣き出しそうな状況の下、これは社長と取締役がすんごい考えて捻り出してくれたとくさんのためのスペシャルメニュー。
条件だけで言うと、このコロナのご時世において、ほぼ無傷となる愛情ある提案。
でも、無理なんだ。
アレルギー体質なんだ、アナフィラキシーなんだ、それについては。
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さて、話は変わるが、SunnydayCats Aである加藤さんは、努力の天才写真家である。
まあ、私が偉そうに言うのも何なのだが、彼女は今、その才能を開花させつつある。
天才は努力のたまものであり、努力できることこそが才能であり天才であるとはよく言うことだが、まさにそのような人物である。
過去に何度か聞いた話では、高校生の時の化学のテストで100点を取ったにも関わらず、学年中に赤点が多すぎたため、それを学校的に問題視され全員に再テストを実施。
「それはおかしい!あんなに頑張ったのに!」と校長にその理不尽さを訴え出ても、「100点とれたなら大丈夫、あなたなら、また取れますよ」という返答に激怒。
「あんまり腹立ったから、また100点取ったった」というある種のスラムダンク的エピソードを持つ。
100点を取り直すのもすごいが、校長も安西先生的発想であったなら、それもなかなかなものだ。
これを何度か繰り返すと「校長先生・・・!! ・・・・テストがしたいです・・・・・」と加藤さんから訴え出るとか、出ないとか。
さて、あまり言うと自慢話になるのだが、このとくさんも、高校数学においては、ちょっとした自慢話がある。
何と、200点満点中3点、丸などどこにもなく、三角一つ、部分点なるものをもらったことがある。
このテストにおいて、取得可能な最小得点を叩き出したのである。
もしも、正解を提示したならば、5点や10点は獲得してしまったはずで、それでは普通だ。
そういう意味では、この3点は、100点を2回取るのと同じくらい難しいはずである。
この場合、その価値を比較する際の基準は、点が高いかどうかという極一般的なものではなく、どちらに希少価値があるかという点にのみ注目しなくてはならない。
つまり、重要なのは、標準偏差における50という最も詰まらない数値からの乖離の状況に注目するべきなのである。
その答えをみんなにも分かりやすいようにざっくりと言うと、「僕ら、どちらも、すごいよね」ということなのである。
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そんなとくさんと加藤さんの会話が、劇的な展開を見せたのは、とくさんがようやく人並みの知性を獲得した午後8時。
加藤さんは、「迷い、ぐずる」「ぐずり、迷う」そして「ぐずり、ぐずる」のルーティンを一切のブレなく、数時間にも渡り、男らしく続けるとくさんを元気づけようと『しいたけ.占い』を読むように勧める。
「あ~、この人すごいよね。多分、人じゃなくて、どこかの神様だよね。この人、前世と現生は、多分、神様だよね~」
読む読む読む読む。
ああ、読めている、読めているぞ。『しいたけ.占い』が読めている。
激しくぐずりながらも、なぜ今、自分がこんなにも激しくぐずっているのかを理解するまでに、その知能は回復し、その後もしいたけ.さんのすてきな文章がどんどん頭に入ってくる。
「うん、うん、うん、そっか、今年、〇×座は、2020年の前半、身軽になって旅に出る時なのか」
「ん?でも、これ、今ですか?あまり遠くに行くと世間様に怒られるんだけれど」と、しいたけ.さんに突っ込み。
「加藤さん、ほんとに今ですか?」
「そう。6月19日以降だけれどね」
死にかけていたとくさんの隣で、くつろぐ加藤さんが続けて言う。
「例えば、仕事を辞めて、1年かけて日本一周とかね」
「にゃ~~~~っ!」
とくさんは、その言葉に、ズボンのチャックを雷に打たれたような衝撃を感じた。
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こうして、とある写真家二人は、手持ちの仕事を放り出し、1年の年月?をかけて、日本一周、作品制作の旅をすることになった。
あ、そうそう、日本一周といっても、中学生が夏休みにやりがちな自転車の後ろに「日本一周走行中!」という旗を差して行う「日本の主な国道一筆書き」ではない。
もし車でそれやっちゃったりしたら、多分、ひと月かからないので、残り11か月をどこかに隠れて暮らす羽目になってしまうだろう。
かといって、「日本一周!」をあまりに厳密に言うと、
「え、うち、父島なんですけど、ちゃんと回りました?」
「いや、うち姉島なんですけれど、そもそも道ありませんが、どうしますか?w」となってくる。
そう、海岸線に囲まれるこの日本を本当に一周するには、カヌーと腕力と根性がいる。
その定義を基準とすると、本当の日本一周なんてテレビ局の長期プロジェクト以外にやったことがある人はいるのかね、という疑問が沸く。
待てよ、それは日本一周ではなく、日本の沿岸海域一周ではないのか?
ちょっと、調べてみる必要はありそうだ。
ネットで、『日本一周 海岸線』 などのキーワードで検索をしてみると、うん、様々な情報がある。
中に知った名前を見つけた。
「おう、伊能忠敬!あ~あの伊能忠敬さんね。伊能さんと言えば、うん、忠敬だよね。前に一度、渋谷で見たことある。昔、CD持ってた。え、誰?」
ほらね、ちょっとボケてみる元気も出てきた。
よし、大丈夫!正しくボケれているよ、自分。
さて、ウェブを見ても、やはり何となく感じた「日本一周って、つまり、どういうこと?」、その定義については様々な形で語られている。
いずれにしても、ここで言う日本一周というのは、その定義の厳密さやストイックさを追求するためものではなく、ひたすらに、ひたすらに、ん?ひたすらに何するんだっけ?
「加藤さ~ん、日本一周って、うちら、何すんの~??」
「写真撮るよ~」
「あ、そりゃそうだね。写真家だもんね」
未来が、一気に開けてきたね。
加藤さん、さすがだわ。
動画もご覧くださいませ→YouTube:SunnydayCats
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