「1年間日本一周、作品制作の旅」002 自己紹介
こんなご時世に、こんなご時世だからこそ、「仕事を辞め、1年をかけて日本を一周しますw」などと言うと、何かこう、ありがちな思い付きのようでもある。
ただ、これについては決して思い付きなどではなく、ある種のひらめきのようなものなのだが、両者の違いについてはまったく説明できないので、まあ、そういうことなのかも知れない。
いずれにしても、これを機会に、さらなる主観的幸福感の充実というか、むしろ、「本質的幸福」に向けて、本格的な軌道修正を図ることになる。
違う違う、そうじゃない。
日本を巡ること自体が、幸福の本筋や人生の目的なのではなくて、本来、自分たちが居るべき場所に到達、もしくは、回帰するための準備が、日本一周なのだ。
例えば、それは、宇都宮の駅前で片思いの彼女に告白するために、日本をバイクで一周するようなものだ。
いや、違う違う、違う、そうじゃない。
それは多くの男子がするありがちな勘違いの一つで、バイクの免許を持っている男子ほぼ全員が通った誤った道だ。
それはさておき、とくさんが一体何者なのかというと、うんと~、ちょっとだけ話してみようかな。
いや、止めておこう。
ちなみに、以前は海外のとある町の写真家を自称していた。
当時、「人生の目標は?」と言われれば、迷わずに、そのとある町の偉大な写真家として歴史に名を刻み、その町の一本の裏通りに、つまり、地図にまで自分の名の残すことだと答えたのだけれど、最近では、「加藤さんのすばらしい作品、その世界観をみんなに伝えていくことですね。そして、みんなが、少しでも幸福の本質に近づく、そのお手伝いができるなら、すごくいいですね」と遠くを見ながら答える。
そんな新興宗教の教祖が仏門に入ったようなとくさんなのだが、長いこと写真関連のベンチャーに関わらせてもらっていた。
そこでは、撮影の仕事もしていたし、いわゆる、『会社の人』みたいに数字を拾ったり、人を育てたりというの仕事もしていた。
立ち上げからだったから、とても一生懸命やったし、期間も長くなったので、こんなとくさんにだって、それなりに感謝してくれた人もいるだろう、一人か、二人は。
ただ、その中で培った、幾ばくかの『知恵』のようなものは、人生の本質を覆い隠そうとしていたのかもしれない、大事なものが傷がつかないようにと。
「そう、だから、日本一周をしなくてはならないよね」
「そっか」
加藤さんの思い付き、いや、ひらめきは、今、とくさんが歩むべき道を示してくれた。
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